23点
「蹴りたい背中」は学生の頃、先生が感想で
「私はどうしても蹴りたいと思えなかったのよ」
と言っていたので、読んでみた。
私は蹴りたいという気持ちがわかる気がした。
そのときにこの綿矢りさという作家に対する印象を持った。
①読んだ後で、「蹴りたい」「蹴りたくない」そんな感想を持たせることができる作家だということ(つまらない作品であれば、そもそも内容について感想すら言いたくなくなる)
②確かに、なにか作家らしい、若手らしい感性があるらしい
③この感性は若いうちだけではないか、この感性が、歳を重ねることで果たして成長するのだろうか(成長させられる性質のものだろうか)
これらが、その時に抱いた印象だ。
そして、今回の作品が、私の読んだ、第2作目だ。
はっきりいって、全くおもしろくない。
主人公、はじめじめしており全く魅力がない。主人公は、女性的な性格ではあるが、女性にも男性にも嫌われそうな、きわめて感じの悪い、(女性的な)性格である。
次に、ストーリーとしてもほぼ魅力がない。
二人の男性と付き合う主人公が、独白を続けるだけ。
はっきりいって、蹴りたい背中の感性は、荒んでしまったというべきだろう。
ただし、希望はなおわずかに残っていると思う。
その理由は二つ。
①人に惹かれるのは理屈ではない、という主張には説得力があったこと
②ラストはすこしよかったこと
の二つである。
ラストは、動かないと思ったものが動いた。そして、書かれなかったその後の主人公の未来に、希望が持てた。
そして、題名の「勝手にふるえてろ」。
この題名は、何も動かない登場人物の一人について書かれたものなのか、あるいは、変わる前の主人公に向けて、変わった後の主人公が語ったものなのか、
あるいは、「蹴りたい背中」という作品の後、あまり活躍できていない、(そしておそらく新たな作品を世に出すことに相当の不安を感じて震えていたであろう)作者が、自分自身に向けて書いたものなのか。
いずれにしても、読者にわずかに残るものを見せた、というところに、作者へのかすかな期待を感じた。
感想の感想(カギ括弧内はamazonから引用)
「綿矢さんの人に対する絶妙な、的を射てるような表現が、読んでいて本当凄いなって思いました!」
→私はそうは思わなかった。どうも人物に深みがないと思う。
「あり得る程度の妄想女子」
→おっしゃるとおり