本の感想の感想

読書の後の備忘録

「久米宏です。 ニュースステーションはザ・ベストテンだった」の感想・書評

82点

 

ニュースステーション、それは私が小さいころ、必ず見ていたニュース番組だった。

そこには常に、久米宏がいた。

ダンディな雰囲気で、楽しそうで、ちょっとおちゃらけた感じもあって、魅力的だった。

ニュースステーションが終わると知った日、私は驚き、寂しかった。

その寂しさは、「この番組でも終わるんだ」という意外感でもあった。

そんな久米さんが何を考えてテレビをやっていたのか、そもそもキャスターの仕事をどう考えていたのか、それを知ることができるのがこの本だ。

その考えすべてに共感した。

そして、そういう思いであのニュースステーションをやっていたのかと、いまさらながら感じ入った。

 

「人は/報道は、自由でなければならない」

どちらを言っていたか、ちょっと忘れてしまったが、とにかく久米さんは自由であることを重んじた。だから自由を阻害するものに対して、対抗した。

身をもって。

だから彼は、ニュースステーションをやるようになってこう思ったそうだ(言葉が正確かどうかちょっと自信がないが)。

 

「殺されてもやむを得ない覚悟でいる」

言葉だけではないと思う。

久米さんのニュースに、媚びる調子は全く記憶にない。自然体、かつ、よく切り込んでいた、でも殺伐とはしない、そんなイメージだ。

家へのピンポンダッシュは数え切れず、落書きや、殺人予告など・・・そういう苦労は山のようにあったという。

 

「出演者の生の声を引き出す」

この信条に従い、百恵ちゃんの尻を触ったこともあり、「今日の朝食は」と聞いたこともあったという。

これらは、予定調和ではない声を届けたいと、彼が思ったからだ。

その信条は、今でも全く古く聞こえない。むしろ、そんな信条を、多くのキャスターに持ってほしいと思う。

ニューステーションの後継の報道ステーションで、古館伊知郎は、その信条を貫こうとしたのではないかと私は思っている。(噂では、政権の圧力により交代させられたと聞くが、事実かどうかは知らない)

 

「マスコミの仕事は権力のチェック」

当然のように言われる言葉だが、久米さんが言うからこそ価値がある。

彼のあのしゃべりの中にそういう心があったと考えれば、うなずけるのだ。

当時小さかった私ですらそう思うのだから、より年齢が上の人は、なおそう思うだろう。

 

私は、久米さんがニュースステーションのキャスターを長く務めたことは、(大げさだが)日本として誇れることだと思う。

今はプライムニュースやニュースウォッチ等がその役を果たそうとしているようにも見える。だが、プライムニュースは政権よりの方向に操作しようとする、そういう気配を感じる。NHKのニュースウォッチも、今はいいが、ちょっと前にはかなり偏った政権よりの報道をしていた。

言論を操作されるようになれば終わりだ、と思うが、できれば久米さんにニュース番組に帰ってきてほしい気持ちだ。

とにかく、久米さんが率直に語ってくれた、すばらしい本だった。

 

感想の感想(カギ括弧内はamazonから引用)

「それにしても、番組のセット、机の形状からニュースを伝える女性アナウンサーの声の高さまで、これまで久米宏が培ってきた美学に貫かれていたことは驚きだった。・・・「ニュースステーション」が終了してからはや10数年が経過した。その間、他局も含めて多くの「報道番組」が生まれたが良かれ悪しかれ久米宏の影響を受けていたことは間違いなかろう。だが番組内での短いコメントを考えるだけでも「まだ誰も言っていないことを言うこと」「誰も考えていない視点を打ち出すこと」に全身全霊をかけた彼のこだわりに追いつける者は現れそうにない。」

→確かに、久米さんは「見せる」ということにこだわりぬいていたらしい。

私も、久米さんの思想・信条をもって、他局には番組を作ってほしいと思う。

 「メディアの使命は時の権力を批判し、チェックすることであるという信念、人の云わないことを初めて云うことに価値を置くこと、「モノが云える社会」を大事にすること、そして日本が再び戦争をしないようにすること。こうした考えを基軸に80年代、90年代、2000年代という激動の時代に創意工夫を凝らして視聴者に「ニュース」を分かり易く、届けて来たこと、半世紀に亘り、日本のメディアに大きな足跡を残して来たことに対して敬意を表したい。」

→心から同感である。彼の仕事に対して、敬意を抱く。読みながら、胸が熱くなるのを覚えた。

 

久米宏です。 ニュースステーションはザ・ベストテンだった